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芥川龍之介 (1918)

蜘蛛の糸

The Spider’s Thread

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ところが ある 時 の 事 で ございます。 何気なく 犍陀多 が 頭 を 挙げて、 血の池 の 空 を 眺めます と、 その ひっそり と した 暗 の 中 を、 遠い 遠い 天上 から、 銀色 の 蜘蛛の糸 が、 まるで 人目 に かかる の を 恐れる よう に、 一すじ 細く 光り ながら、 するする と 自分 の 上 へ 垂れて 参る の で は ございません か。 犍陀多 は これ を 見る と、 思わず 手 を 拍って 喜びました。 この 糸 に 縋りついて、 どこまでも のぼって 行けば、 きっと 地獄 から ぬけ出せる のに 相違 ございません。 いや、 うまく 行く と、 極楽 へ はいる 事 さえ も 出来ましょう。 そうすれば、 もう 針の山 へ 追い上げられる 事 も なくなれば、 血の池 に 沈められる 事 も ある 筈 は ございません。

こう 思いました から 犍陀多 は、 早速 その 蜘蛛の糸 を 両手 で しっかり と つかみ ながら、 一生懸命に 上 へ 上 へ と たぐりのぼり 始めました。 元より 大泥坊 の 事 で ございます から、 こう 云う 事 に は 昔 から、 慣れ切って いる の で ございます。

しかし 地獄 と 極楽 と の 間 は、 何万里 と なく ございます から、 いくら 焦って 見た 所 で、 容易に 上 へ は 出られません。 やや しばらく のぼる 中 に、 とうとう 犍陀多 も くたびれて、 もう 一たぐり も 上 の 方 へ は のぼれなく なって しまいました。 そこで 仕方 が ございません から、 まず 一休み 休む つもり で、 糸 の 中途 に ぶら下り ながら、 遥かに 目 の 下 を 見下しました。

すると、 一生懸命に のぼった 甲斐 が あって、 さっき まで 自分 が いた 血の池 は、 今 で は もう 暗 の 底 に いつの間にか かくれて 居ります。 それから あの ぼんやり 光って いる 恐しい 針の山 も、 足 の 下 に なって しまいました。 この 分 で のぼって 行けば、 地獄 から ぬけ出す の も、 存外 わけ が ない かも 知れません。 犍陀多 は 両手 を 蜘蛛の糸 に からみ ながら、 ここ へ 来て から 何年 に も 出した 事 の ない 声 で、 「しめた。 しめた。」 と 笑いました。 ところが ふと 気 が つきます と、 蜘蛛の糸 の 下 の 方 に は、 数限も ない 罪人たち が、 自分 の のぼった 後 を つけて、 まるで 蟻 の 行列 の よう に、 やはり 上 へ 上 へ 一心に よじのぼって 来る で は ございません か。 犍陀多 は これ を 見る と、 驚いた の と 恐しい の と で、 しばらく は ただ、 莫迦 の よう に 大きな 口 を 開いた まま、 眼 ばかり 動かして 居りました。 自分 一人 で さえ 断れそうな、 この 細い 蜘蛛の糸 が、 どうして あれだけ の 人数 の 重み に 堪える 事 が 出来ましょう。 もし 万一 途中 で 断れた と 致しましたら、 折角 ここ へ まで のぼって 来た この 肝腎な 自分 まで も、 元 の 地獄 へ 逆落し に 落ちて しまわなければ なりません。 そんな 事 が あったら、 大変 で ございます。 が、 そう 云う 中 に も、 罪人たち は 何百 と なく 何千 と なく、 まっ暗な 血の池 の 底 から、 うようよ と 這い上って、 細く 光って いる 蜘蛛の糸 を、 一列 に なり ながら、 せっせと のぼって 参ります。 今の中に どうか しなければ、 糸 は まん中 から 二つ に 断れて、 落ちて しまう のに 違いありません。

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